異戦国志(エピソードなど……)


 実を申しますと、一番最初に私が目指したのは小説家ではなく、漫画家でした。


 その後、ロックに目覚めてミュージシャンを目指したことがあります。


 学校の授業でも、一番得意だったのが絵画であり、一番苦手なのは語学でした。特に苦手なのが作文、ときたらもう、「なんでそんなあんたが、小説家になろうと考えたんだよ」と言われるのもごもっともな話で、どうしてなんだろうなあ、と我ながら考えてしまいます。


 ただ、読書は嫌いではありませんでした。実際、デビューする以前は、乱読していたものです。


 しかも、この乱読の仕方、最初の数頁を読んでつまらないと、もう後が読めなくなってしまうという、実に作家泣かせな乱読でした。そんなものだから、完読した本より、途中でやめてしまった本の方がはるかに多い。


 好きなジャンルは、戦国ものとSF小説。当然、三国志は何度も読みました。(実際には2回くらいかな)


 さて、話はもどって……そんな私がなぜ小説を書き上げたかというと、漫画を出版社に持ち込んで、編集者に何度か言われたことがあります。


「物語がストレートすぎるね」


 これには困りました。なぜかって、持ち込み用の漫画は、当然一話完結です。しかも、多くて50頁ぐらい。当時書いていたのはアクション漫画でしたから、性質上1頁に1コマなんてのがいくつかある。


「それで、どうやれば複雑なストーリーが作れるんだよ」と心の中で叫んでいました。


 しかし、プロの漫画家には、かぎられた頁数の中で、おもしろいストーリーを作り上げる人もいるわけで、これは実力の差なんだろうなあと思い、ストーリー作りにはげもうと考えたわけです。


 そのためには、漫画を離れ、制約をなくし、好きなようにストーリーを作ろうと、ワープロに向かったのです。


 かくして、いきなり異戦国志に突入したわけです。


 さて、そんな私は出不精なところがありまして、異戦国志全13巻を通じ、取材のために出かけていったのは一回こっきり。京都だけでした。


 何巻目だったかは忘れましたが、秀吉と信長・家康連合軍が田上で合戦するときに、田上の地形を確認するために京都へ観光がてらに行きました。真夏の暑い日で、脱水症状になりかけたのをおぼえています。


 ですから、本文中の地形に関する文章は、すべて国土地理院の地図を参考に書いています。現地の人で、「こんな地形じゃねえぞ」と言われる方もおありでしょう。そのときは、こう開き直ります。「今はそうでも、戦国時代の時はああだったの」


 実際、とんでもないミスをしそうになったこともあります。信長が家康の謀反にあって逃亡するときです。その箇所に最初は津久井湖や相模湖の固有名詞を使用していたのですが、編集者にそこはダム湖で、当時はありませんよ、と指摘されました。もちろん、あわてて書き直しました。


 他にもあります。単純に大分県は豊後と思っていたら、豊後と豊前にまたがっていると指摘を受けたり、早い話が、結構いい加減なのです。


 ちなみに前記の信長が逃走するルートがありますが、地図を見ていただければわかりますが、そのルートにはなんとトンネルがあるのです。つまり、当時はその道がなかった可能性が高いのです。


 ただし、これは知っていてそのルートを選んだのです。柴田勝家の最期や、姉山竜国が崖から落ちるシーンには、あのルートしかなかったのです。


 またちなみにですが、実地検証したのは田上だけではなく、もう一ヶ所あります。伊達政宗と北条氏直が闘う石橋の合戦です。これは、単に母親が石橋に住んでいたものですから、遊びに行ったついでに、あのあたりを歩いたのですが、1里(4)は結構広いですよ。歩いて疲れました。


 ということで、今日のところはこの辺にしておきます。この後も暇をみて、エピソードなどを書き込む予定でいます。


 追伸。


 異戦国志のコミック化が決定しました。


 漫画家は狩那匠(かりなたくみ)氏です。迫力ある構図で、読み手をグイグイと引き込んでいきます。期待して下さい。


 1999.5.17


 著者 仲路さとる

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