新・寿限無



    新・寿限無    作 仲路さとる



 ここに若いご亭主がおります。

 新婚8か月で早、男の赤ちゃんが出来まして、とうぜんのごとく、あれやこれやと名前を考え、それを若いかみさんに提案してみたのですけれど、どうも気に入らないらしく、どれも却下。

 可愛そうにご亭主、ひっしになって考えてはみたものの、なかなかいい名前が浮かんでこない。

 そんな折り、巷じゃ自分の子供に『悪魔ちゃん』なんていう名前をつけて役所から拒否されたお人がおりまして、それがまたマスコミに知れて大騒ぎ。

 しかも、そのお人、昼のワイドショーなんかに出て、それなりの意義などを熱弁したのですけれど、世間からはやいのやいのと言われ、あげくのはては悔し涙を流したとか。

 そんなことがあるもんだから、若いご亭主、

「こりゃ、真面目に考えないとだめだな」

 て、ことで知識人に相談しよう、ということになり、さっそく近所のお寺さんへ出掛けました。

 ま、いまどきの若い人で、知識人といって和尚さんを思い出す人なんかいやしませんが、とりあえず話の都合じょう、そういことにしてもらって……、

 ご亭主、緊張した足取りでお寺さんの門をくぐりました。

 ガラガラガラ

「すいません。ごめんください」

「はあい」

 奥から呑気な和尚さんの声がしてきまして、

 ドタドタドタ

「おやめずらしい、仲路さんじゃないですか」

「あ、どうも……」

「どうしたんですか? ……あ、ひょっとしてどなたか亡くなられました?」

「あっ、いえ、そういうんじゃないんです。ちょっと、相談にのってもらいたいと思いまして」

「そうですか。ま、こんなとこじゃあなんですから、どうぞ、奥にあがってください」

「すいません」

 と、いうぐあいに客間に通された若いご亭主、さっそく相談事をはじめました。

「ふむふむ、なるほどぉ……」

 などと和尚さんは腕組みをして神妙に聞いているふりをしているのですが、顔をみればやけに嬉しそうにしてたりなんかして、

 それもそのはず、この和尚さん、相談事というのが大好きで、しかもゴッドファーザーになれるなんてぇと、もう顔がムヒョムヒョしてしまう。おまけに古典落語が趣味ときちゃあ何か嫌な予感がしてきます。

「そうですか、わかりました。……では、ここでちょっと待っててください」

 そういって自分の部屋へひっこむと、さっそく、本棚をごそごそとひっかきまわしまして、

「どこいったかな……ええと……あった、あった」

 と、講談社出版の古典落語下巻という、こんな分厚い単行本をひっぱりだしまして、みだしの寿限無の項を指でなぞったりなどして、

「これよ、これ……ええと……三十四ページ」

 なんて言いながら、おもむろに立ち読みをはじめました。

 趣味といったって、下手なよこずきってやつで、しかもずいぶんと昔に暗記しただけだから自信がない。

 そこで、ざっと予習をして、さらにその本を着物の袖のなかにボソリッと落としまして、若いご亭主の待つ客間へいそいそとむかいました。

 ま、当然こんな分厚い本ですから左の袖が重くって肩がだらりとさがってしまう。

 変なもんだから腕組みして本をかかえこみ、妙にえばりくさった恰好で客間へはいっていきました。

「どうも、お待ちどうさま」

「いえ、とんでもないです」

「ええと、……たしか縁起のいい名前でしたよね?」

「あ、その、縁起とか、べつに気にしてないんですけど、ただ……何かこうカッコよくて、強そうで、それでいて教養がありそうで『きゃあ、何とかあ』なんて女の子が騒いでくれるような名前がいいんですけど」

「はあ……そうですか……」

「あ、……図々しいですか?」

「いえ、そんなことはないですよ。親というものは、とかく子供に多くを望むものですから」

「すいません」

「そうですね……では……こういうのは、どうですか? 寿限無」

「は?」

「寿限無」

「……ジュゲム?」

「そう、寿限無」

「仲路……ジュ・ゲ・ムですか?」

「そう」

「なんか……あんまり難しすぎるなあ。もちょっと普通っぽいのでもいいんですけど」

「いや、これはじつに縁起のいい名前でね。ちゃんとした意味があるんですよ」

「意味ですか?」

「そう。寿命に限りが無いと書いて寿限無」

「はあ……」

「つまりですね、ながーくながーく生きつづけちゃうってことですよ」

「でもなあ、あんまり長生きしても、いいことないような気もするしなあ……」

「でも、仲路さんだって二百も三百も長生きできればいいと思ったことはあるでしょう?」

「そりゃまあ、二百年後の未来なんかを見ることができたら、面白いことは面白いかもしれませんけど、……ボケちゃったらなあ、みじめなだけだものなあ……」

「ううん……、そういわれりゃそうですが……でも、縁起がいいことはいいわけだし、それに他にもありますから」

「あっ、そうですか、それ聞きたいな」

「そうでしょう、つぎのがまたいいんですよ。五劫のすりきれ」

「は?」

「五劫のすりきれ」

「……じょ、冗談でしょ?」

「いえ、真面目ですよ」

「じゃ、仲路ごこうのすりきれ、ですか?」

「ええ。……あっ、いや、これにもちゃんとした意味があるんですよ」

「…………」

「あ、いやだな、そんな目をして……。ほんとなんですよ、ちゃんとした意味があるんだから。一劫というのはね……」

「古谷一行ですか」

「また、冗談がうまい。そうじゃなくて、なんていうかなあ、……単位みたいなものなんですよ」

「単位?」

「そう。一劫というのは三千年にいちど天女が舞い降りてきて、こんなでっかい岩を羽衣でヒョイッとひとなでして帰ってしまう」

「何で?」

「は?」

「だから、三千年にいちど天女が降りてくるんでしょ? そんな長い間待って地上に降りてきて岩をヒョイッと羽衣でなでて帰るってことは、よっぽどその事に重要な意味があるからなんでしょ?」

「ふうむ……たしかにそうだ……。ちょっと待って」

「あら、何してるんですか? うしろむいちゃったりして」

「いや、なんでもない。ちょっと待ってて。…………っない」

「何が?」

「わかんない」

「え?」

「あ、いや……その……あ、そ、……そ、そう、わからない。うん。わからないんだ」

「どうして?」

「だってそうでしょ。あちらは天界に住むお方よ。そんなお方の考えることを下界に住む私たちにわかるはずがないじゃないですか。わかっちゃったりしたら、天界のありがたみがないじゃないですか」

「ま、そういわれれば、宇宙人みたいなものですから……」

「そうでしょ。とにかく天女さまが三千年にいちど舞い降りてきて岩をひとなでして帰る。それを何度も何度もくりかえして岩がすり減り、ついにはまっぷたつに割れてしまうくらいの長い年月を一劫というわけですよ。そしてそれを五回もやってしまう。つまり何億年という悠久な年月のことを、五劫のすりきれ、というんですよ」

「でもさ、それじゃ、単位としては不的確なんじゃないですか?」

「どうして?」

「だって、岩がすり減って割れてしまうのを一劫というわけでしょ? てことは、岩の大きさによってかかる年数が違ってくるわけじゃないですか。それって単位としては不的確だと思いません? だって単位っていうのは一キロが千メートルとか、一年は三千百五十三万六千秒とか、一光年は光が一年間に進む距離で九兆四千六百七十億キロとか、そういうふうに、はっきりとした基準ってものがなければ役にたたないわけでしょう」

「……ま、そういわれれば、そうだけど……」

「でしょ?」

「……いや、そうなんだけどね、……ううん、なんていうかな……そういう細かいことはどうでもいいわけで、つまり小さいことにはこだわらず、悠久の年月に思いをはせるような太っ腹な人間になってほしいと、ま、こういうことですよ」

「そういうことなんですか……?」

「そういうことなんですよ」

「はあ……」

「で、次なんだけどね。……言っていい?」

「どうぞ……」

「ええと……、ふぅふぇむ、ふぅふぇむ…………あ、そうだ、海砂利、水魚」

「え?」

「海砂利、水魚」

「またそんなですか?」

「そう、海砂利、水魚」

「てことは、仲路カイジャリスイギョってことですか?」

「いや、そうじゃなくて、ひとつじゃなくて、海砂利と、水魚」

「何です?」

「海砂利は、海の底にある砂利ね。水魚は水にすむ魚。つまりどっちも、すくってもすくっても限りがないってこと」

「そりゃ、お金なら限りがないのはいいことですけど、砂利や魚じゃね……」

「やだなあ、それはあくまでも例えじゃない。なんでも限りがなく有るってことは縁起がいいことなのよ」

「はいはい、そうですね。次いきましょ、次」

「そ? じゃあ次は、ええと……水行末、雲来末、風来末」

「ああ、石田国末なら知ってますよ。子供の頃テレビでよく見ましたから。ドンガードンガラガッタ、ドンガードンガラガッタ、国末さまのお通りだいッ!」

「いや、そうじゃないんですよ。水行末は水の行く末、雲来末は雲の行く末、風来末は風の行く末。つまり行けども行けども限りがないってことかな」

「また限りですか?」

「いいじゃないですか、無限ってことは」

「そうですね。……で、これで終わりですか?」

「いや、まだあるんですよ。こんどのが、またいい」

「そうですか?」

「そう。食う寝るところに住むところ」

「…………」

「ん?」

「…………ッ」

「……あれ? どうしちゃったんです? 立ったりなんかして……」

「どうも申し訳ありませんでした……」

「え? なんのことです?」

「和尚さん、忙しいなら忙しいと、最初に言ってくれればよかったんですよ。そしたらぼくだって遠慮したんですから。そうなんでしょ? 忙しいところを邪魔されたもんで頭にきて、ぼくに嫌がらせしてるんでしょ?」

「そ、そんなことないって。ぜんぜん暇だったんだから」

「嘘ですよ。だったら、なんでそんないいかげんな名前ばかりつけるんですか」

「あ、誤解してるな。いいかげんなんかじゃないですよ。どれも縁起のいい名前なんだから」

「食う寝るところに住むところって、どこがいい名前なんですか。そりゃ、うちは都内で駅からも近くて日当たりもよくて、それでて3DKで九万二千円と格安で、多少は自慢に思ってますよ。……でも見ました? このまえテレビ。……西条五郎の家がでてたでしょう。門があって、そこを開けるといきなり橋ですよ、橋……信じられます? 家の前がごっそりと地下までえぐられてて、その上を橋が渡されて、その橋を渡ると家の玄関なんだから。橋の下は、まるで新宿の高層ビルの吹き抜けみたいに広くてさ、家ん中だって、まるで超豪華ホテルみたいにオシャレなんですよ。そんな家に女の子を連れこんでごらんなさい。一発でコロよ。それに比べたらうちなんかわびしいもんですよ。けっして食う寝るところに住むところが縁起がいいなんてことはないんだから」

「仲路さんッ」

「なんですか」

「そりゃあ、あなた何か勘違いをしてる。あなた新宿に詳しいようだから言わせてもらうけど、私だってテレビは見ますよ。このまえ、どっかの報道番組のなかでやってましたよ、新宿の地下道。知ってるでしょう、あそこにホームレスの人が沢山いるってことを。その人たちに比べたらあなた、家があって家族がいて、それでて職があるってことは、それだけでもうじゅうぶんに幸せ者ってわけじゃないですか。違いますか?」

「ま、まあ……そう言われりゃ、そうですけど……」

「でしょう?」

「でも、ずいぶんとつつましやかな幸せじゃないですか。さっきまでは寿限無とか五劫とか、やたらとでかい話だったじゃないですか」

「そりゃそうだけどもね、上を見ればきりがないでしょう」

「でも、さっきまで、そんなことばっかり言ってたじゃないですか」

「幸せというものは、つつましやかなものから、果ては雄大無限な幸せまで、そういったものを知ってこそ、真のありがたみがわかるってもんじゃないですか」

「はあああ……」

「ずいぶんと、おっきな溜め息をついちゃいましたね」

「溜め息くらいつかせてくださいよ……」

「じゃあ、まだ有るんだけど、言っていい?」

「どうぞ」

「ええと……ね。……やぶらこうじのぶらこうじ」

「ムッ」

「あっ……、また怒っちゃった? やだな、目が怒ってるよ」

「……もういいです。ぼくが馬鹿でした。帰ります。用事思い出しましたから」

「ちょ、ちょっと、待ってよ。冗談や嫌がらせで言ってるんじゃないんだから。おお真面目なんだから。怒ったりしないでさ……ねえ、仲路さんってば……」

「あのね、和尚さん。いくらなんだって、怒りたくもなるでしょう。だって、それだったら、いっそのこと仲路金町三丁目ってつけちゃいますよ。そうすりゃ住所書く必要ないもんね。でも、そうなりゃ一生引っ越しができなくなっちゃうでしょう」

「そりゃ、そうなんだけどさ、これも昔っから縁起がいい名前ってことであるんだから。ね、機嫌なおして……とにかく座ってよ。……もう、それにやぶこうじっていうのは木の名前なんだよな……あ、そうだ、仲路さん、たしか甘いもの好きでしたよね? 昨日檀家さんから名代清水屋のきんつばをもらったばかりなんですよ。ほら、あの有名な清水屋のきんつば。いつも客が長蛇の列をつくって待ってるんだけど、買えずに帰る人が多いっていう、あのきんつば。どうです? 食べていきませんか?」

「ええ?」

「ねえ、食べてってよ。ほんとにうまいんだから。わたしも昨日少しだけ食べたけど、ほっぺたが落ちちゃって、拾ってくっつけるのに苦労したんだから。ほんとだよ」

「あの名代清水屋のきんつば?」

「そう、清水屋のきんつば。食べたことあります?」

「いえ」

「でしょう。ほら、座って。ね、食べてみてよ。おーいっ、昨日もらったあのきんつば、お客さまにお出ししてえ」

「……じゃあ……お言葉にあまえようかな」

「そうしてよ。そのほうがきんつばだって喜ぶんだから。……ほら、来た。さ、どうぞどうぞ。ぱくりとひと口で食べてちょうだい」

「じゃ、……あっ、ほんとだ。うまい」

「でしょう?」

「うん、列つくっちゃうの、わかる気がする」

「ね、……それでなんだけど……もう名前きくの、やになっちゃった?」

「はあ……まあ……いいですよ、きんつばもごちそうになってることだし」

「よかった。これからがいいとこなんだもの。……じゃ、言うよ」

「ムグ」

「ええと……パイポ、パイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナ」

「え?……禁煙パイポがどうかしたんですか?」

「やだなあ、禁煙パイポじゃないですよ」

「そうですよね。……ところで和尚さん、きんつば食べないんですか?」

「え?……あ、……ああ、そう……よ、よかったらわたしの分も食べて」

「いいんですか?」

「う、うん。きのう食べたから……」

「そうですか……じゃあ、いただこうかな。ほんと、おいしいですよね、このきんつば」

「あああ、わたしの分……」

「え?」

「いや、なんでもないです。……ええと、名前の意味ですけど、パイポっていうのはね、中国の古い国の名前でして……」

「嘘でしょう」

「何が?」

「中国の国の名前だなんて」

「嘘じゃないですよ」

「嘘ですよ。こうみえても、ぼくだってちゃんと高校は出てるんですよ。世界史の時間に中国の歴史もやったんですから。半分くらいは居眠りしてましたけど、それでも夏・殷・周・春秋・戦国時代ってぐあいに暗記させられたんだから。そんなかにパイポなんて国なかったですよ」

「嘘じゃないって。ちゃんと書いてあるんだもん」

「何に?」

「あ、……いや、何でもないですけどね。でも、そのカ・イン・なんとか・戦国時代ってのは、それ何々時代とか、そういう時代の呼び名でしょう?」

「あっ、そうか」

「パイポは国の名前なんだから」

「でも、ぼくは吉川英治の『三国志』が好きで三回も読んだし、そのほかにも司馬遼太郎の『項羽と劉邦』も読んだけど、そんな国の名前でてきませんでしたよ」

「そ、……それはさ……つまり、ほら、金とかいてむこうじゃキムと読んだりするでしょう。それと同じよ。日本読みじゃ違う読み方するんだけど、本場の中国じゃパイポって読むのよ」

「ほんとかなあ? なんか嘘っぽいなあ」

「ほんとだって。……それでそのパイポって国にシューリンガンっていう国王とグーリンダイっていう王后がいて、その二人のあいだにポンポコピーとポンポコナという娘がいてね……」

「ふざけた名前ですね」

「そんなこといったって、中国の名前なんだもの。むこうじゃ、おお真面目なんだから。そうだよ……。それでそのポンポコピーとポンポコナという二人の娘が、これがえらい長生きをしたってわけ。つまり、その名前が縁起がいいわけよ」

「和尚さん、長生きが好きですねえ。ひょっとして和尚さん、長生きしたいんですか?」

「そんなことないですよ。でも、昔の人は寿命が五十年くらいで短かったから、長生きには憧れてて、そういうものを良しとしたんですよ」

「そんなもんですかね」

「そんなもんですよ。……それでね、次がね?」

「はい」

「長久命」

「チョウキュウメイ?」

「そう、長く久しい命と書く」

「ほら、やっぱり長生きしたいんだ」

「違うって……ま、いいか……で最後が……」

「やっとおしまいですか?」

「そう、最後が長助」

「なんだ」

「なんだ、とはなんですか。長く助ける、ということでいい名前じゃないですか」

「だったら、良く助けるってことで良助でもいいじゃないですか」

「それじゃあ、だめなんです」

「なぜ?」

「なぜって……、どうしても」

「へんですよ、和尚さん」

「何が?」

「何がって、わかんないけど……。ま、とにかくそれがいちばんまともそうだから長助にします。うちにもって帰ってかみさんにきいてみますよ。たぶん却下されるような気がしますけど。……どうも、ありがとうございました。いろいろと御面倒おかけしまして、申しわけありませんでした。それじゃあ、これで帰ります」

「あっ、ちょっと待って、仲路さん。違うんだって」

「まだあるんですか?」

「いや、そうじゃなくてさ、……ほら、いままで並べた名前、どれも縁起のいい名前だったわけでしょ」

「ああ、そうみたいですね」

「だからさ、全部いい名前なわけだからね……なんていうかなあ、つまり全部つなげてひとつの名前にしちゃうわけよ」

「はあ?」

「だからね……仲路さんだったら……仲路……寿限無寿限無、五劫のすりきれ、海砂利水魚の水行末、雲来末、風来末、食う寝るところに住むところ、やぶらこうじのぶらこうじ、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーインダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助……ってことになるわけさ」

「……………………………………っっっ」

「ああ………………………」

「………………………」

「ああ……ど、どうしたの? 手なんかあげちゃって……?」

「質問」

「……はい……、どうぞ」

「百歩ゆずってですよ、そういうふうにずらっと名前を並べるのも良しとしましょう。でもね、だったらなぜ寿限無を二回もくりかえして読むんですか? 名前をつなげるだけなんだから一回ずつでいいわけでしょ」

「そ、そりゃあ……」

「そりゃあ、なんですか?」

「つまり……ちょっと待って」

「あっ、またうしろむく。和尚さんさっきからうしろむいて何してるんですか? ひょっとしてあんちょこでも見てるんですか?」

「そうじゃないって、……ちょっとだけ待ってよ……ええと、寿限無とは寿命に限りが無いと書いて寿限無と読む……」

「最初に聞きました」

「……ええと……五劫のすりきれ……あれ?」

「どうかしました?」

「ええと……困った……その……つまり……なんだ……そう……そう、つまり、そうだ、そうだよ、つまりだね、寿限無はいちばん最初にくるくらいだから、いちばん重要な名前なわけよ。だからね、それをより強調するために二回くりかえすわけよ」

「じゃあ、パイポは?」

「え?」

「パイポ。たしかパイポパイポパイポのなんとかって、三回くりかえしましたよ。ってことは、パイポは寿限無より重要ってことですか? でもパイポは国の名前ですよね。国の名前がなんで寿限無より重要なんですか?」

「そ……それはね……つまり……あれよ……リズムってやつ?」

「なんで名前よぶのにリズムがいるんですか?」

「やだな、名前つけるときには音の響きも考慮するわけでしょ」

「和尚さんがいままであげた名前には響きが考慮されてあるんですか?」

「それはまた別よ。とにかくさ、……例えば『かずみ』よりは『かすみ』のほうがやさしく聞こえるとかさ、……そういうのと同じよ。名前も長くなれば響きなんかを考慮して、それなりのリズムがいるのよ」

「だったら、そんな長い名前にしなきゃいいじゃないですか」

「だから、それはさ……」

「もういいです。わかりました。とりあえず、なんか紙に書いてください。そんな長いの覚えきれませんよ」

「そうだろうと思って、ちゃんと紙と筆、用意してあるんだ」

「ずいぶんと用意がいいですね」

「だてに坊さんやってるわけじゃないからね。字書くのは得意なんだ」

「はあ……」

「ええと……寿限無寿限無、五劫のすりきれ、海砂利水魚の水行末、雲来末、風来末、食う寝るところに住むところ、やぶらこうじのぶらこうじ、パイポパイポ…………」

「ちょっと待ってください」

「え?」

「それ」

「なに?」

「なんでパイポからきゅうにカタカナになるんですか? パイポって中国の国の名前なんでしょう? ってことは漢字があるはずでしょ。なんたって中国は漢字の本場なんだから。でしょ? ちゃんと漢字で書いてくださいよ」

「そういえば、そうだ」

「なにいまごろになって……あ、またうしろむいちゃった。いったい何かくしてるの?」

「だめ、きちゃだめ」

「あやしいな……」

「へへ……」

「なに、その不気味な笑い……あ、こんどはキョロキョロしてる」

「ううん……」

「こんどは、ふさぎこんじゃった」

「わかった!」

「なんなんですか、さっきから」

「つまりね、あるのよ、ちゃんとした漢字が」

「そりゃそうでしょうよ。中国の名前なんだから」

「でもね、やたらめったら難しいわけよ。なんたって古い時代の名前だから。ほら、日本にもあるでしょ、斉藤さんっていう字。あの斉っていう字、難しいのになると、ただごちゃごちゃして、なんていう字だか、わかんなくなっちゃうときがあるでしょ。あれと同じなのよ。しかも古いもんだから、日本の常用漢字には無い字なのよ。……それにさ、日本の場合、法律で名前につけられる漢字って決められてるわけじゃない。そんなかに入ってないのよね。だからしかたなくカタカナにしてるわけよ」

「…………」

「どうして、そういう疑わしい目つきで見るわけ」

「いいです。もうそれで結構です。どうもありがとうございました」

 と、いうわけで若いご亭主、そのやたらと長い名前をひっさげてお寺さんを後にしたのですけど、このまま家に帰ればかみさんに叱られるのはわかっている。とはいっても、もう自分で考えるのにはほとほと疲れちゃった。しかもこのご亭主、面倒くさがり屋ときている。なもんだから、

「ええい、このまま区役所へいっちゃえ」

 てことで、その足で届けを出しちゃった。

 とうぜん、受付けられるわけがありません。なんたって名前の欄をはみだして生年月日から住所まで、寿限無でうめつくされたわけですから……。

 しかも、それがまたマスコミに知れたから、さあ大変。

「すわっ、悪魔ちゃん二号か?」

 なんてことになりまして、若いご亭主のまわりに、わっとマスコミが殺到しまして、あれやこれや詰問いたします。

 ところがこのご亭主、もともと無責任なお方でありますから、

「そんなこといわれたって、あれは和尚さんに頼んでつけてもらった名前なんだから。文句があるなら和尚さんに言ってよ」

 てなことで、こんどは和尚さんのところへマスコミが殺到しますてぇと、

 この和尚さんも、ねっからのオチャメな性格。

「やだな、冗談にきまってるじゃない。だって、あれ、落語の寿限無だよ。わかるでしょ、見れば。……それ、本気にしちゃうんだものな」

 てなわけだから、マスコミも呆れ果てて、

「なんていい加減なやつらだ」

 と、いうぐあいに一件落着したわけですが、

 世の中というものは不思議なものでして、あの有名な企業が、

「これはいい!」

 て、ポンと手をたたいたかどうかは知りませんが、新製品の名前に、

「やーめたーいとーきーの、禁煙……寿限無寿限無、五劫のすりきれ、海砂利水魚の水行末、雲来末、風来末、食う寝るところに住むところ、やぶらこうじにぶらこうじ、パイポパイポ、パイポ……」

 ってぐあいにメロディーにもリズムにも乗らないCMをつくって大儲けしてしまったとかなんとか……。

 ばかばかしいお話でございました。



このホームページ(サイト)に掲載されている著作物の著作権は、全て仲路さとるが所有しております。

Copyright ©2007〜 Satoru Nakaji

このウェブサイトでは Cookie を使用しています。詳細は当社の プライバシーポリシー を参照してください。

拒否

OK